より抜きコラム1
書くと言うこと…推敲と校正の話

2002/7/27発行メルマガより抜粋・転載

ご不明の点のお問い合わせや、投稿はこちらのメールフォームからどうぞ。

著者:銀凰恵

トップへ戻る

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇書くと言うこと…
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
推敲:内容や表現方法について「あーでもない、こーでもない」と悩
んで、作品の手直しをすること。
校正:日本語として間違っていないかについて、「あーじゃない、こ
ーじゃない」といぢわるに突っ込んで、作品の修正をすること。
(あるいは、作者の生原稿を活字化したときに、変換ミスがないかを
確認すること。ないしは、版下を赤鉛筆で真っ赤っかにする作業)
…銀の字の見解ですが。

 賈島(注)が悩んだように、「門を推し開けた」だろうと「門を敲
いた」だろうと、「その家を訪問したという状態」を表すだけならほ
ぼ同じ事…でも、文章の雰囲気は違ってくるわけだ。
 あるいは、「僕は殴った」と「僕を殴った」では一文字しか違わな
いけれど、実際起こったことは正反対に違うのね。
 普通、推敲は作家本人の仕事、校正は編集人(校正人)の仕事…な
んだけど。
 素人物書き・同人作家が「本を出す」「Webページに文章を発表する」
時は、多くの場合、両方自分でやらないといけない。
 文芸同人誌なんかでは、「一次校正は必ず自分でやること」って決
まってることもある。ウチのサイトも投稿規約に同じ事を掲げてる。
(投稿してくれた人、まだいないけど(^^ゞ)
 ま、編集付の自費出版、企画出版なら校正はやってもらえるかも知
れないンですが。(詳しくは知らない)

 推敲は芸術センスの問題。校正は国語力の問題。
 で。
 結局両方とも注意力の問題だったりもして、そのあたりケッコー難
しいのであります。

(注)
※賈島(カ トウ) 字 浪仙(ろうせん) 号 無本
 唐代の詩人。元僧侶で役人。
「4年かかって1句完成した。涙が出てきた」
と自ら語るほどの「苦吟」タイプの詩人。
 ある時、
「鳥宿池辺樹 僧推月下門」
(鳥が池の畔の樹に宿を取る夜更け、僧侶が月光の元で友人宅の門を
推して入っていった…意訳)
 という詩を書いた。
 ところが、よくよく考えたら「推」を「敲」にした方がいいんぢゃ
ないか…と悩んじゃった。
 推すだと、門は最初から開いていて、つまりこの友達は僧侶が訊ね
て来ることを最初から知ってたってことになる。
 敲くだと、門は閉ざされていて、僧侶は夜更けに突然友達を訪ねて
行ったのだ…ノックの音が静かな月夜に寂しげに響いている…という
雰囲気が出る。
 悩んで悩んで、悩みながら大通りを歩いて(危ないMr.カトウ)、お
偉いさんの行列に鉢合わせ。あわや無礼討ち寸前!
 ところがこのお偉いさん…名を韓愈(カン ユ)…も詩を吟じるお
方。賈島からワケを聞いて、一緒になって悩んでくれた。
 結局、韓愈さんが
「敲くのがいいでしょ」
 と言ってくれて一件落着…というお話しがありまして。
 この故事が「推敲」の語源でございます。

発行サービス
メルマガ天国
メルマガ登録(メールアドレス) メルマガ解除(メールアドレス)

見本ページ



まぐまぐ メルマガ登録(メールアドレス) メルマガ解除(メールアドレス)
バックナンバー
トップへ戻る